パペット&パペット   久田恵の人形劇エッセイ

久田恵の人形劇エッセイ
久田恵の人形劇エッセイ

・誰でも心惹かれてやまぬものがあります。私にとって、それは人形劇です。これは、世界中にある文化ですから「物」を「いのちあるもの」として取り扱う心、というものは、人間のなかにあらかじめインプットされているものなのだと思います。「いのちなきものが」、人がちょっと動かすだけで、「いのちあるもの」として、いきいきと生き始める、そんな感じがたまらないのです。時々、人形劇に関するエッセイを書いています。あまり、日の目を見ないので、ここにアップしておきたいと思います。

日経新聞・プロムナード・2010年 月日は?

「人形劇が好きで、仲間と劇団を作ったんです」と言うと、みな、すぐに、可愛いうさちゃんやくまちゃんの人形を想像するらしい。

「夢がありますねえ」とか「メルヘンですねえ」と言われる。

なんだか自分が人畜無害のいい人に思われているなあ、と思う。

ところが、どっこいである。

人形劇の愛好家にはよく知られているけれど(と言っても、たぶん少数派)、ヨーロッパの伝統人形劇の人気者というのは、人畜無害どころの存在ではない。

たとえば、イギリスの有名な人形芝居「パンチとジュディ」の主人公のパンチなどは、大悪漢だ。

赤ん坊を平気で放り投げる、棍棒で妻を殴る、追いかけてきた警官をぶちのめし、しまいに、彼に罰を下そうとする死神を絞首刑台に吊るしてしまう。

こう書くと凄まじい。

けれど、この神をも畏れぬ人形パンチのやりたい放題が、なんとも可笑しくて、いきいきとして可愛い。観客は大笑いし、やんやの喝采なのだ。

このパンチは、いっさいの規範から解放されたイノセントで不死身な民衆のヒーローとして何百年も愛され続けている。

昨年、フランスのシャルルビル・メジエールという街で開催された人形劇フェスティバルに行き、フランスの庶民に支持されてきた人形劇の主人公、ポリシネールにも会ってきた。

ポリシネールは派手な衣装を着たキュートな道化師だ。とても魅力的。でも、話の内容はやっぱり凄かった。

金持ちに食べ物を独占されてしまった貧乏なおばさんのために、彼は棍棒で敵を次々とやっつけ、最後に欲張りの金持ちを、なんと腸詰にしちゃうのである。

ちょっとシャイな人形遣いのフィリップさんが、一人で何体もの人形を見事に繰って、子どもたちは、ポリシネールの歌を歌って懸命に応援する。

観ている子どもも大人もやっぱり大喝采だった。

本や資料でしか知らない生のポリシネールに出会えて、私は大いに感激したけれど、日本でこういう人形劇を保育園の子どもたちに見せたら、どうなるだろうと思った。

顰蹙をかうかしら?

実は、こういった人形劇の人気者たちは、ヨーロッパの各国で活躍している。ドイツにはカスペルレがいる。チェコにはカシパーレクがいる、というように。

その大元になった人形がイタリアのプルチネラで、背中と胸にコブを持ち、白い服に黒い仮面をつけている道化師である。

彼にも、シャルルビル・メジエールの旅でついに念願の出会いを果たしたのだが、彼もやっぱり、棍棒を持って、いろんなものを叩きのめしていた。

日本では、人形劇は大学の保育科で学ばれているが、フランスでもチェコでもカナダでも、人形劇は舞台芸術表現のいちジャンルとして、演劇学科で学ばれている。

 

というわけで、秘密を暴くようだけれど、私の周辺の人形劇好きには、人畜無害どころか、混沌として無頼なエネルギーを隠し持っているような不思議な人が少なくない。

産経新聞・家族がいてもいなくても・2013年2月

 先日「K・ファウスト」という芝居を観た。串田和美の作、演出の古い人形劇の戯曲をもとにした作品で、音楽を担当したアコーディオニストのコバが、楽隊の隊長として生演奏もするという贅沢な舞台だった。

さらに劇中、ヨーロッパのサーカスの芸人たちともコラボし、な、なんと古いドイツの大道人形劇の舞台まで登場してきたのだった。

芝居、アコーディオン、サーカス、人形劇・・・、と私の好きなものがてんこ盛り。

とくにドイツの古い人形劇の有名なキャラクター、カスペルが出てきて、「オイラ、二次元的絵空事の世界からやってきました!」なんて素敵な台詞を吐くので、もう本気で嬉しくなってしまった。

ちなみに「ファウスト」と言えば、ドイツの文豪、ゲーテの作品が有名だ。おかげで、二十歳の時、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んだなあ、とか、彼が七十歳過ぎて十七歳の少女に恋したチェコの温泉に行ったなあ、とか、いろんなことを芋づる式に思い出してしまった。

そもそも、ゲーテは、幼い頃、ドイツの民衆に伝承されてきたこの「ファウスト博士」の人形劇をこよなく愛し、ついには生涯をかけて難解と言われる「ファスト」の大作に挑むことになったのだから、興味を持たざるを得ない。

あれこれ調べてみたら、この戯曲の主人公のファスト博士というのは、15世紀に実在した錬金術師だという。街から街へと放浪し、領主とか貴族に頼まれ、ホロスコープを作ったり、怪しげな薬を作ったりしていたらしい。最後は、実験の失敗で爆死しちゃったなんてウワサもある。

彼は、この世の快楽を極め尽くそうとの欲望のため、悪魔のメフィストテレスに、魂を売っちゃった男だけれど、ゲーテは、物語の中でこの男を女の愛の力で救済している。なんか、甘いなあ。

でも、原典の人形劇の方では、ファウスト博士は、もうまっすぐに地獄へと落ちていく。

ハッピーエンドなし。こういうところがさすが人形劇だ。

ヨーロッパの人形劇は、おおむねそんな感じで、容赦ない悪を楽しく描く。地獄落ちも辞さないやりたい放題のその悪のヒーローの徹底ぶりが、民衆をやんやと沸かせるのだ。

ゲーテと人形劇、その意味深な関係を知って、なんだかこのところ、勝手にウキウキしている。

 

人様には、なんの興味も湧かないことかもしれないけれど。